G.G.佐藤さんがコーチビジネス研究所に来社!-廣器会#003【1】

開催日時 2024年6月13日(木)18:30~20:00(懇親会 20:00~22:00)
開催場所 (株)コーチビジネス研究所
参加人数 14名

第3回の「廣器会」は、あのG.G.佐藤さん(以降「佐藤さん」と呼称させていただきます)にお越しいただいての講演会です。「爽やか」かつ「熱血ワード」はじけ飛ぶ感動的な講演でした。佐藤さんと同じひととき、同じ空間を共有することができた私たち参加者は、とても幸せ者です。

佐藤さん、本当にありがとうございました!

G.G.佐藤さん「廣器会 熱血講演」実況中継です!

~今回も、前回(第2回廣器会)と同じく、(株)コーチビジネス研究所の坂本樹志(たつし)がレポートを担当させていただきます。~

前回のレポート作成にあたっては、リアル感を皆さんに感じていただこうと、再現レポート的に「ほぼ逐語」で掘り起こしてみました。そして今回なのですが……
G.G.佐藤さんのお話を「要約(チャンクアップ)」してしまうと、熱気といいますか、その迫りくる「臨場感」は絶対伝わらないだろうと確信したこともあり、前回以上の「逐語」でレポートさせていただこう、と方針を立てています。
ただし、1時間強の講演を1回のみでレポート化すると、長い長い報告となってしまいますので、3回シリーズでお届けしようと思います。

さて、レポートの構成ですが、佐藤さんの人生が、少しでも私たちの心の中に像として結ばれるように「Wikipediaの抜粋」、さらに、有名な経済紙に掲載された、奥様とのなれそめ(第2回レポートの予定)、などにもリンクを貼ってみようと思います。

佐藤さんのお話は、「魂を感じる珠玉の言葉」に満ち溢れています。「廣器会」は、経営に携わる者の集まりですから、今後の皆さんの講演や、経営を司るに当たって、今回の「ご縁」を踏まえ、佐藤さんの「言葉」を紹介する機会もあるかと思います。
このレポートは、そのような際の「素材」として使っていただければと考え、作成してみました。

前置きが長くなってしまいました。まずは、佐藤さんのプロフィールを紹介させていただきます(Wikipediaより)。

G.G.佐藤(本名:佐藤 隆彦〈さとう たかひこ〉)

基本情報
・国籍     日本
・出身地 千葉県市川市
・生年月日 1978年8月9日(45歳)
・身長体重 185 cm 98 kg(講演会時はとてもスマートでしたが…)
選手情報
・投球・打席 右投右打
・ポジション 外野手、一塁手
・プロ入り 2003年 ドラフト7巡目
・初出場 NPB / 2004年3月30日
BCL / 2022年4月29日(引退試合)
・最終出場 NPB / 2013年10月8日
BCL / 2022年4月29日(引退試合)

経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
桐蔭学園高等学校
法政大学
西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ (2004 – 2011)
フォルティチュード・ボローニャ1953 (2012)
ロキテクノベースボールクラブ
千葉ロッテマリーンズ (2013 – 2014)
トラバース
埼玉武蔵ヒートベアーズ (2022)
KAMIKAWA・士別サムライブレイズ (2023)
監督・コーチ歴
ロキテクノベースボールクラブ
トラバース
国際大会
2008年 北京五輪代表チームメンバー

G.G.佐藤YouTubeチャンネル
【GG佐藤のエラーチャンネル】 
活動期間 2013年10月 –
ジャンル 野球
登録者数 1.63万人
総再生回数 2,503,578回
(チャンネル登録者数・総再生回数は2022年4月25日時点)

元プロアスリート 梁取 慎也さんがG.G.佐藤さんを紹介します

G.G.佐藤さんに講師として「廣器会」でお話しいただけるようコーディネイトいただいた、元プロアイスホッケー選手の梁取(やなどり)さんのイントロダクションがスタートします。まずは、佐藤さんのプロフィールを簡潔に紹介されます。その最後あたりで…

梁取さん

ええっと…今は、ティック・トッカ―(TikToker)ですかね? E.E.佐藤という芸名の(笑)。
どん底から這いあがって……どん底でいいんですよね? あのときがどん底……

と、ウイットをまぶして話されると、佐藤さんは、笑いながら「ええ」とうなづかれます。

梁取さん

死にたいと思ったときからどうやってここまで来たのか… その道のりをお話いただけると思います。佐藤さん、よろしくお願いします。

(会場 : 拍手)

ここで佐藤さんから「梁取さん、ご自身のことも紹介もしてくださいよ(笑)」と声がかかりました。梁取さんは、少し照れながら…

梁取さん

プロのアイスホッケー選手として13年ほど、デンマークでも1年プレーしています。
日本はオリンピックには出場できなかったのですが、アジア大会では金メダルと銀メダルを獲っています。
引退後は、テッシュの「スコッティ」「クリネックス」の日本製紙(株)のサラリーマンを1年やりました。現在は、フィナンシャルプランナーとして独立し、マネーセミナー講師として全国を飛び回っています。なので、ご用命がありましたら、声をかけいただければと思います。1

(拍手)


そして、佐藤さんの講演が始まります。


講演のテーマは「失敗のない人生は成功もない」

「廣器会」に呼んでいただき、ありがとうございます。さて、西武ファンだという方は手を挙げていただけますか?
ええっ? 全然いない…(苦笑)
西武は今めちゃくちゃ弱いから、ファンの方がいなくてよかったです(会場爆笑)
ロッテファンは…? 全然いない。パリーグめちゃくちゃ人気ないですねえ……

佐藤さんは、くつろいだアイスブレイクで私たちの気持ちを、グッと掴みます。笑顔と共に軽妙なトークで講演はスタートしました。

私が西武に入って2年目のときに交流戦が始まったんです。当時パリーグは全然人気が無くて、巨人と対戦した時は、民放で放映されますし、嬉しかったですね。
カメラの数がすごかったのに驚きました。それから「こんなにたくさんの女子アナが来るの!?」って、テンション上がっちゃって…全然試合に集中できませんでした(会場 : 爆笑)

野球の話をするとキリがないので…
今日は、経営者の皆さまがお集まりの「廣器会」ということですから、皆さんに前向きになっていただける話をプレゼントできれば、と思っています。この後の懇親会も参加させていただきます。ビールまでの1時間ほど、お付き合いください。

テーマは「失敗のない人生は成功もない」です。改めまして、「筋肉と情熱のコラボレーションG.G.佐藤」と申します。よろしくお願いします(拍手)

「廣器会」はアットホームでいいすね。リラックスして話ができそうです。
さて早速ですが、みなさん「どうしても手に入れたい願望」というのは…いかがですか? 持たれていますか?
なぜ、このようなことをお訊きするかと言うと、中学のとき、重要な人物との出会いがあったからです。この人です! 
(野村元監督、妻の野村沙知代さん、佐藤さんの3人一緒の写真がモニター画面に)

中学のとき、沙知代さんがやっていた少年野球チーム2に入っていたので、中学校を卒業するときに、直筆のこの一枚の色紙をノムさんからプレゼントしてもらったんです。

佐藤少年は「念ずれば花ひらく」に心を揺さぶられた

「念ずれば花ひらく」「念ずれば必ず花がひらくんだよ」、とノムさん言います。
この言葉に引き込まれました。すると、とても遠かった「プロ野球選手」のことを、近くに感じることができたんです。それを信じて、あきらめなかったからこそ、今があると思っています。

そして、念じ続けるために、ずっとやってきたことがあります。
自分と向き合うということを大事にしてきました。とにかく自分に問いかけ続けました。
「何を求めているのか?」
「自分の願望って何なのか?」

皆さん、問いかけてみてください。

「私の願望って何なのか?」
いかがですか?

これをずっと続けて、自分の心に素直に生きてきたのが、私の人生だと思っています。
じゃあ、どんな少年時代を過ごしてきたのか…

高校では甲子園に行ってません。
大学(法政大学)のとき、4年間、ずっーと補欠でした。ほとんど試合に出ていない。3年生の時、1年間練習に行かない時期もありました。どんなマインドの大学生だったのか?

武蔵小杉のバーミアンですよ。補欠軍団で毎日のように集まって、ねたみ、ぐち、嫉妬。
「監督、なんでオレを使わねえんだよ!」
「オレの方がイケてるだろう!」
ですから、野球をやめてもよかったんです。でも、どこか自分の可能性を感じてたんですね。じゃあその支えになっているのは、何だったのか?
それは…僕にとっては「これ」だったんです。
(「父親の写真」がモニターに現れる。そして、小学生の時の佐藤さんの写真が…)

この写真は小学生の時の「朝練」の写真です。
毎朝、6時に僕を起こしにきて、365日6年間、毎日朝一緒に練習してくれました。
で、父の言葉は…

「おまえはこの世に生まれた最高傑作だ。必ずプロ野球選手になれる!」
と言われていました。じゃあ、そのことをどれくらい父は信じてくれていたのか?
(モニター画面は「父親によるかなり古い手紙」が映し出されます)

こういう手紙をいつも書いてくれたんです。「お前は他の人が持ってないモノを持っている」という内容です。一つひとつの手紙は、私の「未来予想図」でした。父は「必ず良くなる。オレは見えているんだ!」と。

佐藤さんのお父様は、「息子の未来予想図」を手紙にしたためた

大学の時、4年間補欠ですよ。
その時の僕を見て、プロ野球選手になれると思った人は一人も居なかった。父だけが「お前は絶対なれるから、諦めるな! 必ずなれる、プロに!」と。

でも大学卒業した時になれなかったんですよ。そのとき母は…
「おとうさん、あんた噓つきね。息子プロ野球選手になれないじゃない…」

佐藤さんはお母様の声音を真似て言葉にされます(笑)

父は怒りました。
「ふざけんな! 今からなるから一筆書け!『息子佐藤隆彦がプロ野球選手になった際には、毎晩あなたのことを三つ指立ててお迎えします』と」(会場 : 爆笑)。
この契約書は残っています。いまだに。(会場 : へーっ…)
この父の強い想いが、私の根底にずっとあったんです。まさに「これ」なんですよ。

「承認」は相手に、そして自分にも大きな勇気を与えてくれる

是非とも皆さんの周りにいる方に、「〇〇さんならできるよ、あなたなら必ずできるよ」って。この言葉がその人にどれくらい勇気を与えるか、力になるか…
相手のいいところを見付けてあげて、認めてあげてください。言葉にしてあげてください。そして自分にも、です!
大人になると誰も、ホメてくれない。認めてくれない。自分でやるしかないです(会場 : 苦笑 )。

「お前はイケてるよ」
「大丈夫だよ」
「必ずできるよ」
「お前ガンバってるよ」

自分に対して、いつも承認してあげてください。私はやっています。

父は今年で80歳になりました。父は「レアキャラ」なんですよ。建築土木の会社を起業して、今年で49期目。年商180億円の会社をつくって、息子もプロ野球選手にしてるんです。(会場 : 拍手)
ありがとうございます。

私も野球引退後、父の会社に入ったんです。9年務めました。姉が二人いるんですけど、長男なので、この会社を継いでいきたいと思いました。父が大事にしている会社を守ってゆきたい、という思いで入社しました。

ただ… 事業承継するって、滅茶苦茶難しいですね。
(会場: う~ん、というため息のような声が…)

今回の講演テーマが「失敗のない人生は成功もない」と知った時、さまざまのことを想起しました。弊社(コーチビジネス研究所)のコラムでも、「失敗と成功」について、さまざま書いています。佐藤さんは「承継とは?」について、深く深く考えてこられたと想像します。ここで、昨年8月23日にアップした「(株)ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長」(リンク)について考えてみたコラムを紹介させていただこうと思います。一読いただくと幸甚です。

オールマイティーの人間はいない…自分を俯瞰し自分を知る!

家族経営なんで、さまざまなことが起こりました。
結果、昨年の8月に会社を辞めて「会社を継がない」という決断をしたんです。
父はまあ…典型的な一代で築き上げたワンマン社長なんですね。このあたりのところは、皆さんにアドバイスいただきたいと思います。
「私は継がない」という決断をしました。


・・・(少し間が空きます)

大学のときに戻りますけれど、もう一回野球がんばろうと決めたんですね。
自分に問いかけました。セルフカウンセリングしたんです。
「どうなりたい? どんな選手になりたいんだ?」
繰り返し、繰り返し、繰り返し、自分に問いかけました…

心の中に返って来たのが、「これ」なんです。
(モニター画面を指します)

「ホームランバッターになりたい!」
当時身体が細かったんです。 監督、コーチから、「お前はホームランバッターにはなれない。絶対無理だ!」と言われていました。
でも、監督、コーチが望む姿じゃない。「自分が望む姿になろう!」「オレの人生じゃん」って思ったんです。

で、当時アメリカを見ると、筋骨隆々の男たちがガンガンホームランを打ってたんです。これを見た瞬間に「これだ!」と。
「この肉体を手に入れて俺はホームランを打ち、日本人初、野手メジャーリーガーになってやるんだ!」って、目標設定したんです。
この瞬間に人生のスイッチが“バチコン”って入ったんです。今でも覚えています。

“バチコン”とスイッチが入った佐藤さんはボディビルダーに!?

周りの目、一切気にならなくなりました。イチローさんがメジャーに行く前です。ただですねえ…その時情報が無いんです。体をデカくしたいと思っても、情報がない。

武蔵小杉のTSUTAYAです。本屋に行ってボディビルの雑誌を買い漁り、見まくって研究し、トレーニングに明け暮れました。雑誌に「ボディビルダーは3時間おきに飯を食う」って書いてあったんです。「コレだ!」と。

12時に寝て、目覚まし掛けて3時に起きて、卵2個・プロテイン。また寝る。6時に目覚まし掛けます。卵2個・プロテイン……
3時間おきに、びっしり飯食いました。
ヤバいっすよね(会場 : くすくす笑)

結果1年からこうなったんですよ。
(画面が変わります)
でかくなっちゃうんですよ(会場から「でか~」という声がかかる)
1年間で30キロ増えたんです。飛ばすことだけは一流に… 
ただね、レギュラーにはなれないんです。技術がともなっていない。ただ、だれよりも遠くに飛ばせるという能力をゲットすることが出来ました。

多くの人は「心から手に入れたいこと」を決めていない!

どうでしょうか? 理想の自分を掲げる。登る山を決める、とても大事なことだと思います。大人も子どもも毎日を一生懸命生きているんです。でも「なりたい自分」を決めていない。「心から手に入れていたいこと」を決めていない人がほとんどですよ。何となく人生を過ごしてしまっている…
  「心の底から手に入れたいものは何なのか?」
  「自分の人生のテーマは何か?」
  「自分はどこに向かっていくのか?」

  ということを、私はいつも考えています。人の目は一切気にしない。気にしているのは「自分の目」です。「自分が納得する生き方をしたい」ことを大切にしています。そうすれば一番力が出ることを経験上実感できたんです。

佐藤さん

いかがでしょうか?
ずっと聞いてばかりだと疲れると思うんで、横の方とシェアしていただいて、何か、「なりたい自分とか、願望ってありますか~」と、お話ししていただくと嬉しいです…

佐藤さんの講演レポートの初回は、ここで一旦終えることにします。
お話が始まって20分くらいのところですが、これまでの人生によって、培われた心と身体の奥底から湧きあがってくる「ソウルフルな言葉」を、佐藤さんは私たちに届けてくれています。

この後も佐藤さんの熱い言葉は全開です。次回レポートもご期待くださいますよう、よろしくお願いします!

ー次回につづくー


(株)コーチビジネス研究所 坂本樹志

  1. 梁取さんのインスタグラム https://www.instagram.com/shinya65f/  ↩︎
  2. (Wikipediaより )
    小学校時代から野球を始め、行徳のリトルリーグに在籍。このときのチームメイトには相川亮二がいた。中学時代は野村沙知代がオーナーを務めていた「港東ムース」に在籍し、佐藤は「人生の中で一番キツかったのは沙知代さんにお世話になった港東ムースでの中学三年間。高校、プロでの練習もあれに比べれば楽だった。保護者にも褒めて叱って育てるのよ、と言ってたのを覚えてます。全国優勝した時は喜んでましたね。」と述べている。中学卒業時に沙知代の夫・野村克也から「念ずれば花ひらく」と書かれた色紙を貰い、現在も大切に保管している。(戻る ↩︎

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レポーター紹介

坂本 樹志

株式会社コーチビジネス研究所 取締役 CBL認定コーチ 中小企業診断士
広島県出身。大学卒業後、大手化粧品会社に入社。財務、商品企画開発、販売会社代表取締役、新規事業開発、中国上海・北京駐在、独資2社設立し総経理等を歴任。その後CBL認定コーチとなり、エグゼクティブコーチとして活動開始。『カウンセリング&コーチング クイックマスター(同友館)』『格闘するコーチング(かんき出版)』など著書・執筆多数

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